京都に咲く一輪の薔薇(ミュリエル バルベリ)1

 いにしえの中国、北宋の時代のことでございます。ある高貴な人が毎年、広大な芍薬の花園を造らせておりました。夏の初め、花冠は風にそよぎ、主は花園のなかにある東屋に腰を下ろします。ここで月を眺め、時折、澄んだ色の茶を口に運びながら過ごすのが、例年の習慣だったのです。六日間、彼は、わが娘のような花たちを眺めて過ごし、朝と夕には、花のなかを散策いたしました。  七日目の朝早く、彼は虐殺を命じます。  ばっさりと茎を着られた美しき花の死体を、使用人が頭を東に向けて寝かしていきます。ついに、残る花はただ一輪となりました。梅雨の始まりを告げる雨が花びらを濡らします。そして、それから五日間、貴人は暗い色の葡萄酒を飲みながら過ごします。毎年、彼の人生のすべてはこの十二日間にありました。彼は一年中、花たちのことを思って過ごします。そして花たちが死ぬと自分も死にたくなってしまうのです。それでも、一輪だけを残し、そのひとつだけの存在と無言で向き合う時間には、たったひとつの存在に託された無数の命が共存しているのです。一年の残りの月日、喪に服して過ごす時間も、彼にとっては決して、無為のものではありませんでした。  生き残った一輪を眺めるとき、彼は何を思ったのでしょう。そこには光る宝石のような悲しみがありました。そこにちりばめられた幸福の輝きはあまりにも純粋で、あまりにも濃密なので、彼の心は陶然とするのでした。